2012年に独立し函館山の裾野、西部地区の常盤坂の家に事務所を構え暮らし始めて早3年目。
これまで休みらしい休みを取らずに過ごしてきたが、5月に初めて連休を取った。
とは言っても、ニュースで良くみるように海外で過ごす訳でもなく、旅行に行く訳でもない。
朝4時半には起きて体をもて遊ぶ菜奈(3歳の娘)を連れ常盤坂を降りた港を散歩し、船や港を眺め児童公園でブランコや滑り台などで遊ぶ。一度家に戻りおやつを食べ一休みをして、今度は家から徒歩5分の元町公園や重要文化財の旧函館区公会堂周辺を散歩。
公会堂横の通称アイスクリーム通りで牧場ソフトを食べながらブラブラ散策。
それから車を走らせ函館山に登ると快晴の山頂からは函館港や津軽海峡、遠くの駒ケ岳まで一望できる。
レストランで軽く昼食を食べ、さらに外のベンチでのんびり妻のおにぎりをみんなで食す。
一気に山を駆け下りるとすぐそこは桜が満開の函館公園。花見や祭りになると公園の坂道に出店がウネウネと並ぶ。
市民の寄付と奉仕活動などで明治12年に開設された市民による市民のための函館公園。
公園自体が国の登録記念物に指定され地形豊かな起伏を生かし、公園内にはレトロ感満載のこどもの国や、北海道で最初の動物園や有形文化財にもなっている博物館などがあり、まさに文化と教養娯楽の宝庫であり子供のいる僕たちにはとてもありがたい場所。
日本最古の観覧車には行列ができ、天気もいいので凄い人で溢れていた。
小さな北海道新幹線の乗り物に菜奈もご満悦。かき氷を食べながらまたブラブラ。
そこから金森のレンガ倉庫に行って買い物をし、スタバでおやつを買って家に帰ってきた。
そんな感じでコースを変え、移動距離わずか半径1〜2キロの中また次の日も観光客に混じり街を歩き休日を満喫した。
西部地区はまさに観光地のド真ん中で、ここに暮らしていると玄関を一歩外に出ると坂の下に港を望み、坂の上には函館山、伝統的建築物保存地区なので街を歩けばいたるところに文化財や古くてカッコイイ建物があり、教会や公会堂などではコンサートも毎年開かれるし、仕事をしていると昼に船の汽笛や、日本の音風景百選でもある教会の鐘の音が毎日周辺に鳴り響く。春から秋にかけて緑の島やBAY、元町公園では様々なイベントも目白押しで、冬にはクリスマスファンタジーやイルミネーション、夏と冬は花火大会など四季折々の風景やイベント、お祭りなど一年中楽しめる。
最近はリノベーションなどで西部地区内での仕事が増え、日常がまさに超!観光生活だ(浮かれている訳ではないが)。
現場の帰り道や日常の移動で海辺を通って帰るとヨットハーバーやレンガ倉庫群、山側を帰ってくると公会堂や元町公園からの函館港、その中間を帰ってくるとイギリス領事館や中華会館と和洋折衷の古民家群など何気ない街の風景や日常がなんとも豊か過ぎる。
私は千葉の高校から、旭川の大学へ出て就職の際に東京の実家へ戻らず函館での就職を選んだ。
よく都落ちとか言われたけれど、北海道の豊かな環境に触れてから、生活やキャリアの為に暮らしを犠牲にして都会で働く事に疑問を抱き、北海道で挑戦していくことを決めた。一旦函館で大手に就職するがすぐに仕事を辞め、また函館に帰ってくるつもりで佐呂間の新進気鋭の建築家五十嵐淳さんに弟子入りした。佐呂間で働き、常呂町の施主宅で居候暮らしをしていたがテレビも無いし遊ぶところも無い。しかしそこには厳しい自然環境のなか助け合いながら暮らす豊かな人間関係があったし、ただただ地平線が広がる何も無いという豊かさがそこにはあった。そうした暮らしは今の社会とはまるで逆境するようだが、お金では買えない唯一無二のとても豊かな日常/環境があった。
ここ函館の西部地区にも、ここにしかない魅力的な唯一無二の日常/環境がたくさん詰まっている。
北海道に残ってから、常に自分の身を置く環境を考え生きてきた。なぜここに暮らし何のために働くのか。何を目標に生きるのか。
この仕事が、この家が、この街が好きだから、その日常/環境を子や孫に残し守りたいから自分はここにいる。
自分に素直に生きてゆきたい。
箱バル不動産 富樫雅行